こんにちは、やーまんです!
YouTubeで知ったのですが、
最近の若者言葉には「陽キャ」「陰キャ」に次ぐ
「無キャ」という表現があるそうです。
定義は
「陰キャでも陽キャでもない、趣味も特技も特にない
自分がない人物を無キャ」としているようです。
ネット上でこの言葉を知った時に
「中高生の頃のやーまんじゃん」という自己反省が頭をよぎりました。
友人らしき人物が周りにいてもどこか上辺だけのお付き合いでした。
勉強も深く知っているつもりでも理解が浅く何か成果を出すこともありませでした。
それでも当時の私は「結果が出ないのは周りが悪い。自分は努力している。どこかで必ず結果は出る。」と楽観視しており、問題の根深い部分から目を逸らしていた記憶があります。
大切なのは目標があり、今の自分の到達地点を見極め、そのギャップを埋める適切な努力を続けることです。
しかし、元・無キャの私ならその思考回路が分かります。客観的に自分を評価すると絶望すると分かっているので逃げてしまいます。どこまでも、どこまでも。
その私が無キャを卒業できたのはどの段階でしょうか。
振り返ってみると、大学1年の頃かなと記憶しています。
様々なコミュニティに広く浅く在籍することで何となく「特別視していた自分が全然特別な人間ではない。ただの一般人。」だと正しく認識するようになります。
これが脱・無キャに繋がったのでしょう。
在籍コミュニティが多くある状態だと、接し方の引き出しが増えます。
何となくですが、ここにいるときの自分が好きと思えるようになります。
そのアイデンティティは最早「無」ではありません。
世間の誰かに夢や居場所を与えられていると思います。
無キャとは何でしょうか。
自然にそうなるのか。
何かの影響を受けて無になるのか。
ここまで書いてる私もよく分からない部分が多いです。
振り返ってみると、「〇〇してはダメ」と言われることが多い人生でした。
中途半端に受験勉強にも熱を入れていたので、問題があると何かしら1つの答えが必ず存在すると無意識に刷り込まれています。
禁止事項を正確に覚えることは得意ですが、複数の選択肢からベターを選び続けることは苦手だと感じる場面がこの一年よくありました。
何か自分の中で努力している習慣があり、アウトプットまで描けていたならば、
そんなにすぐ「無キャ」になることはありません。
導入の能天気な挨拶から無意識にダラダラと書いてすみません。
以上、やーまんでした!
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